令和2年1月20日ヨネックス創業者米山稔様のお別れの会が長岡ニューオータニホテルで開かれました。
雪深い越路町塚山から世界へ羽ばたいたヨネックス。今や世界一流の選手たちを支えるスポーツメーカーです。
お別れの会には多くの方々が集まり、偉大な創業者・米山稔氏を偲びました。
そして「とっと」社長桜井は、米山会長とのお付き合いの中で垣間見たチャーミングな横顔を思い出しておりました。
米山会長と桜井のお付き合いは平成14年頃にさかのぼります。その前年に亡くなった三波春夫さんの銅像が塚山に建てられることになり、それを聞いた桜井が、いの一番に寄附を申し出たのです。実は桜井の亡くなったお母さまが三波春夫さんの大ファンだったのです。
するとそれに感激し、三波春夫さんの後援会会長であった米山稔様が桜井に連絡をくださいました。
それ以降「桜井さん、あんた面白い人だね」と親しくして頂き、、会長が88歳になった折には「とてもおめでたいことですから、会長のサインを頂きたいです。」とお願いをしたそうです。
すると後日「桜井さん。例のサインできたよ。取りにおいで」
伺いますとヨネックスのスポーツウェアに小さく小さく「米山稔」と名前が書いてありました。心の中で「違うんだけどな」と思ったそうですが、わざわざスポーツウェアまで用意して頂いた手前、何も言えず、お礼を申し上げて持って帰ってきました。しかし、そのウェアを見た桜井のご長男が「お母さん、どこの洗濯場から盗んできたの!」と一言。
「やっぱりそう見えるよねぇ」と思いもう一度米山会長に電話をかけ、顛末を説明し、再度サインを書いていただくことになりました。
一枚目のサイン サイン見えます? |
拡大写真 |
「桜井さん。できたよ。取りにおいで」
すると今度はばっちり。大きく「カツエさんへ 米山稔 八十八翁」。ところが黒々としたマジックでそのまま書いたものですから、背中にインクの染みが付いてしまっています。「これじゃぁ着れません。」と再度のお願い。(世界の米山会長にこんなに遠慮なくクレームをつけるのもどうかと思いますが・・・)
裏にうつってしまったマジックのしみ・・・残念! |
米山会長は頭をかきかき「いやぁ今まで何度も有名選手がサインを書いているのを見ているけれど、自分がサインをするのは案外難しいものだねぇ。たかがサインといっても相手を喜ばせるのは大変な事が初めてわかったよ。」
今度はきちんと台紙をはさんで背中に大きく「カツエさんへ 米山稔 2012年 八十八翁」と書いていただきました。
おそらく最初の小さな小さなサインは「大きくサインを書いてしまうとウェアを着用する時の邪魔になるだろう。私は有名なスポーツ選手でもないわけだし」というお優しいお気持ちからだったのだと思われます。
二度目のウェアの失敗はこちらの気持ちに早く答えてあげようというお気持ちから・・・・
世界の米山稔は優しく、チャーミングで少しおっちょこちょい。とびっきりの笑顔を持った紳士でいらっしゃいました。
お別れ会でお会いしたヨネックスの社員の方達 |
先日のお別れの会でヨネックスの優秀な若手社員にお会いしましたが、実際の米山会長にお目にかかったことはなかったそうです。
米山会長はただの「伝説の男」ではありません。会長は何事にも一生懸命で常に「ピンチはチャンス」と口癖のように優しい眼差しで教え導いてくださる方でした。
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